中国茶の歴史
先日、スマトラ島の顔に負傷した野生のオラウータンが薬効のある葉っぱを噛んだものを傷口に塗りつけて治したニュースがありましたね。
お茶も最初は同じだったのです。
茶類の変遷
古代、神農は百草の毒味を行い、茶樹の生葉を咀嚼することにより、茶葉が発見されたと言われます。
後漢の時代
生葉を煮た茶湯は「茗菜」、粥のように煮詰めたものは「茶粥」と言われました。
薬用、食用であり、葱や生姜、塩等が加えられて長時間煮だしていたそうです。
(映画レッドクリフで、医者華佗と煮だしたお茶・・スープのような茶がでていましたよね)
その他、茶葉を収穫後、日干しにし、餅茶・圓茶(現在の普洱茶の様に固形にしたもの)にしていつでも使えるようにしました。
唐代 618年~907年
茶葉を蒸した餅茶にする技術は進歩しました。(陸羽の茶経・三之造に餅茶製造方法が記載)
蒸青団餅茶は主要な茶類で、日干しの散茶や、炒青緑茶も存在しました。
固形茶の粉末を煮てその湯を飲む煎茶法ができました。
塩を加えたりしました。
僧侶の飲料でもありました。
宋代 960年~1127年
伝統的な蒸青団餅茶の他、蒸青散茶が存在。
蒸青散茶は、蒸青後緊圧せず火であぶり乾燥させたものでばらばらのものを湯に注ぐ。
宋代の団餅茶では、福建省建安の北苑貢茶が有名です。
北苑貢茶には一部龍脳が入っていたものもあったそうです。
点茶法 固形茶、茶葉の粉末に湯をかけて攪拌し、湯と粉をともに飲む方法。
元代 1271年~1368年
団餅茶は次第に減少し、散茶の量が増大。
生葉の成長状態により、芽茶と葉茶と分けました。
泡茶法(杯泡法) 茶葉を茶碗に入れ湯をかけて置き、味の出た湯を飲む方法。
明代 1366年~1644年
蒸青緑茶の他、炒青緑茶の生産が増加。
炒青製造は、お茶の香気を高めます。 (日本の釜炒り茶のようなもの)
明代前期の杯泡法は、茶葉に香りを着けたり、茶碗に果物を加えたりしました。
続いて、紅茶、黄茶、黒茶、白茶が登場。
16C以前に霍山黄大茶が、16C前後に湖南省安化で黒毛茶から黒茶が、福建省福鼎で白毫銀針が生まれました。
清代 1644年~1911年
烏龍茶生産が増加します。
これにより、六大茶類(緑茶、紅茶、黄茶、黒茶、白茶、青茶)が揃いました。
壺泡法 明代末に興りますが、これは現在私たちが飲んでいる茶壺に茶葉を入れ湯を淹れて、茶杯に汲んで飲用する方法です。
明代末には、磁器製や錫製の茶壺が用いられていたものの、次第に宜興紫砂の茶壺が流行っていったそうです。
福建省、広東省の烏龍茶が飲まれるようになると、小型の宜興紫砂の茶壺が使用されるようになったとのこと。
こちらも今も同じですね。
お茶も飲み方も、時代時代によって変わります。
参考文献
茶の事典 朝倉書店刊
評茶員テキスト
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